Tachibana Seminar, University of Tokyo
Gordon Hisashi Sato博士の講演
平山 佳代子
みなさんは、今年の10月14日から毎週金曜日に行われている東京大学の公開講座をご存知でしょうか。駒場キャンパスで行われており、『高校生のための金曜特別講座』と題されていますが、もちろん高校生以外の方も受講できます。登録不要・参加費無料なので、ふらっと立ち寄っても大丈夫です。詳しく知りたい方はこちらへ
今回、私はこの講座を主催している松田良一助教授に「素晴らしい先生の講演がある」と声をかけていただいて出席させていただくことになりました。
私はこの公開講座が高校生対象であることを知らなかったので、高校生が続々とやってきたのを見て大変驚きました。彼らの制服から様々な高校の生徒が講演を聴きに来ていることがわかりました。更に、今回は多元ネット配信によってSato博士の講演が香川県丸亀高校、愛媛県今治西高校、岡山県倉敷青陵高校に生中継されていました。会場も広い教室に大勢の人が入っていました。
時間になると、生中継している3校に映像や音声が届いているかを確認するため、松田助教授が「聞こえていますか〜?聞こえてたら手を振ってください。」と言うと、スクリーン上の3校の生徒達が元気に手を振って答えていました。その後、松田助教授がSato博士について口頭で紹介なさいました。
Sato博士は日系アメリカ人3世です。容貌は日本人と変わりありませんが、1927年にロサンジェルスで生まれ、そこで育ったため英語でお話になります。講義では松田先生が通訳をしてくださいました。今回はブループラネット賞受賞のため来日なさっていたところを、滞在期間を延長してこの講演に出てくださったそうです。
第二次世界大戦中、日系アメリカ人はカリフォルニア州の砂漠地にあるマンザナール日系強制収容所に2年間強制収容されました。Sato博士はそのとき15歳の高校生でしたが、このときの経験が虐げられた人々への共感を生み、また砂漠のような不毛な土地でどのように食料を生産するかを考えるきっかけとなったのです。
Sato博士は現在の成長因子研究に不可欠である無血清培養法を確立し、分子生物学の発展に大きく貢献するなど研究でも成功をおさめ、ノーベル賞候補ともいわれました。しかし、Sato博士は1992年に研究生活を引退し、40万ドルの私費を投じてマンザナール・プロジェクトを立ち上げたのです。
松田先生によるSato博士の紹介の後、博士とマンザナール・プロジェクトについてのビデオが上映されました。ビデオは、マンザナール・プロジェクトの舞台となったエリトリアの紹介から始まりました。以下、ビデオの内容を多少補足を加えてご紹介します。
エリトリアでは年間降雨雨量20mm以下、気温は50度を越す地域もあるという厳しい環境に加え、エチオピアからの独立戦争で、人々は貧困と食料不足に苦しんでいました。Sato博士はその状況を見て、「貧しい人たちを科学の力で助けたい」と、戦時中から現地で魚を養殖し支援してきたのです。
その後、30年間に及んだエチオピアからの独立戦争は終結し、93年にエリトリアは独立国家となりましたが、依然多くの人が貧困と飢餓に苦しんでいました。そこでSato博士は複雑な養殖ではなく、現地の村人が自立できるように彼らが実践できるシステムを構築する必要があると考えました。そして考え出されたのが、マングローブを植林するマンザナール・プロジェクトです。
マンザナール・プロジェクトのマンザナールは、Sato博士が強制収容されていたマンザナール日系強制収容所からとったものです。博士はそのときのつらい体験を誇りに変えたい、マンザナールの人達は世界に貢献できる人たちだったと証明したいという思いからこの名前をつけたそうです。
また、「今でもマンザナールの悪夢を見る。でも忘れないためにこの名前をつけた」とおっしゃっていました。
エリトリアでは乾期の6〜7ヶ月間は家畜の餌がなくなってしまい、家畜産業がうまく成り立っていませんでした。Sato博士は乾期でも海岸にマングローブの木がまばらに群生し、ラクダがそれを食べているのを見てマングローブを植林することを思いついたそうです。
もし、海岸にマングローブの森をつくることができれば乾期でも家畜の飼育が可能になり、家畜産業が成り立つので、現地住民たちは経済的に自立することができます。エリトリアの人々が自分達のてによって自立するには、マングローブの植林は彼らにもできるような方法によって行う必要がありました。
しかし、マングローブの植林は博士にとっても村人にとっても初めての試みで、何も知識がないところから始まりました。始めは全てが手探りで、手始めに植えたマングローブの苗木が全て6ヶ月で枯れてしまいしまうなど、多くの苦労があったようです。
そのような中で、Sato博士は河が海に流れ込む所でマングローブがよく育っているのを見て、マングローブの生育には陸上の栄養素が不可欠であることに気付きました。その栄養素とは、窒素・リン・鉄の三つです。講演でも、「海水に足りない栄養素は、窒素・鉄・リンだった。他の全ての栄養素は海水に含まれているんだ。」とおっしゃいました。
そこで、様々な実験から博士が考案したのは、尿素とリン酸アンモニウムを3:1の割合で混合したものをポリエチレン製の袋に500g詰めて、その袋に3箇所だけ穴をあける方法です。袋に3箇所だけ穴をあけることで袋内の栄養分が3年間かけて少しずつ溶け出し、窒素とリンを安定的に供給できるからです。さらに、三ヶ月育てたマングローブの苗木を海岸に植える際に、苗木を鉄ゲージで囲うようにしました。こうする事で苗木を波の作用から守り、さらに鉄分を供給する事ができます。
このことが説明されたとき、高校生たちから「すごい」と驚きの声があがっていました。
Sato博士はこの方法によってマングローブの植林に成功し、現在では乾期の家畜の餌として定着し、さらにマングローブの森は様々な生命を育むようになりました。
※現在では上記の方法にさらに改良を加えているようです
この方法なら、どんな不毛の土地にも海水さえあればマングローブの森を作ることができるとして注目されています。
マンザナール・プロジェクトで30人の村人が働き、その多くは戦争で家族をなくした女性たちです。彼女たちは、このプロジェクトでもらったお金で暮らしています。戦争で夫を失った女性の「Sato先生のおかげで食べていける。本当に大切な宝物のような人」という言葉からも、Sato博士とマンザナール・プロジェクトが村人に受け入れられていることが伺えます。
先生の「私も苦労したから苦労している人たちの気持がよく分かる。国籍や人種は関係ない。同じ人間なんだから」という言葉がとても印象的でした。
Sato博士は五つの鉢を用意して、それぞれの鉢に穴の数が違う肥料の袋を入れて苗木の生長を観察しました。肥料袋を入れない鉢、肥料袋に一つ穴をあけた鉢、2つ穴をあけた鉢、4つ穴をあけた鉢、8つ穴をあけた鉢の五つです。その結果、2つ穴をあけた肥料袋をいれた鉢と4つ穴をあけた肥料袋を入れた鉢で成長速度が中程度だったため、この中間の3つ穴をあけた肥料袋を使えば、安定して窒素とリンを供給できるだろうと考えたのです。
1992年から1999年までに80万本植林したしたところ魚や貝が増え、植林は漁師にとって有益であるようです。これはマングローブ植林による間接的な経済効果ということができます。マングローブの植林によって村の経済は向上し、村民、特に漁師は植林の価値をよく理解しているそうです。
また、マングローブの実を乾燥させれば飼料として使うことができ、これは直接的な経済効果といえるとおっしゃっていました。種子も飼料として使うことができますが種子には必須アミノ酸の1つであるトリプトファンがないため、水に浸して発芽をさせることによってトリプトファンが作られ、より良い餌となるそうです。この飼料を羊に与えたところ、子供を生む事はできたもののミルクが出きませんでした。
そこで、魚の廃棄される部分を粉末えさにして与えたところミルクが与えられるようになり、これはマングローブの植林によって家畜産業が発展する可能性を示唆しています。
さらに現在、マングローブの葉は消化しにくいので、Sato博士はなんとマングローブの葉により納豆をつくることを考えているそうです。納豆は納豆菌が消化しやすくしてくれるだけでなく、栄養的にも付加されます。
苗木を三ヶ月別の場所で育て、それを掘り起こし海岸に運んで植えるという作業は非常に労力を要するものでした。そこで、Sato博士は缶詰がたくさん廃棄されているのを見て、缶詰の底をとって筒状にし、それを苗床にして直接海岸に種を植える方法を思いつきました。缶は、波から種を守るとともに、鉄の供給源ともなります。これによって苗木を海岸まで運ぶ必要がなくなり、多くの時間と労力の節約となりました。
また、小さい苗を波の作用から守るために鉄の棒が数本突き出ているコンクリートブロックを海岸に設置しました。
遊牧民がラクダや羊、ヤギをつれて村を通過することがあり、その際にラクダなどがなんと一晩に2万本もマングローブを食い荒らしていってしまうことがあったようです。そのため、マングローブ林の周囲をフェンスで囲い、さらに警備を行うことで遊牧民の家畜に食べられないようにすることが必要でした。遊牧民を追い払うのがこのプロジェクトで最も苦労した問題だったそうです。
Sato博士は"See how poor these people are"(この人々がどれだけ貧しいか見てください)と言い、家の写真を見せました。それは、家とはいえないほどボロボロで、崩れかけた掘っ立て小屋のようでした。(ここに写真入れたいなぁ) もちろん、電気は通っておらず、外の気温は50度にも達します。このような場所で生活をしていくのがどれだけ大変か私には想像できません。
さらに、乾期にどうやって水を供給するかが問題となっています。乾期には水を人と動物が共有するため、これによって伝染病が蔓延する事が懸念されます。海水を真水に変えることを考えているそうですが、4リットルで1セントと、村人にとってはコストが高く、実現できていません。
数百万ヘクタールのマングローブ林を作ることができれば数百万の人々を養う事ができるが、まだ何億人もの人が貧困に苦しんでいます。しかしSato博士は、政治的な問題で社会が崩壊しつつあっても、科学により解決しうるとおっしゃいました。
近年、ハリケーンや台風の災害が多発し、北極の氷が融けるなど、地球温暖化の被害が増加していると考えられます。様子を見ようという科学者もいますが、Sato博士はそんな暇はないとお考えでした。
地球温暖化の1つの解決法として、温室効果のあるガスを抑えることがありますがSato博士はそれは無理であるとおっしゃいました。それはインドや中国などの発展が目覚しい国を止めることはできないし、そのような権利もないからです。
Sato博士は、砂漠地帯を緑に変えることで地球温暖化を防ぐことができると考えていらっしゃいました。そうすれば、温室効果ガスである炭酸ガスを固定し、さらには家畜産業によって人々の生活を支えることもできるでしょう。海水と肥料を使えば、マンザナール・プロジェクトと同じようにマングローブ林をつくることができます。問題は、どのように海水を経済的に汲み上げるかです。博士は「みなさんも一緒に考えてください」と呼びかけました。
現在、日本の食料自給率は約40%です。「これを改善できれば、世界に応用できるだろう」と言い、Sato博士は、藻類を増やす方法を提案しました。藻類は、リン・窒素・鉄+糖を与えると30分に1回分裂します。この条件を利用して藻類を増やすことができれば、それを餌とする海老や魚も増え、日本の海が変わるだろうという提案でした。
Sato博士は松田先生に何か若者へのメッセージはあるか聞かれると、真っ先に髪の色について話し始めました。「なぜ髪をそめるのか。おそらく、日本の卓越性である黒い髪に対する抵抗だろうが、そんな事はまったく無意味だ。」「若者はなぜそれをやっているのかを考えてみるべきだ。」「例えば、あなた方の親の世代には、働いて日本のレベルを上げるという目標があったが、今の若者にはそれがないのではないか。だから髪を染めたりするのではないか。」と力強くおっしゃいました。
これに対し、会場の髪を染めていた高校生は、困った表情をうかべる者、ぶつぶつ文句をいう者など様々な反応がありました。
最後に、石油産油国であるナイジェリアでの貧富の差やメガワティ大統領のときにインドネシアの貧富の差が拡大したことなど、これを機会に世界の問題に関心を持って欲しいと高校生達に語りかけていました。
参考:サトウ博士インタビュー和訳(旭硝子財団) 財団法人 旭硝子財団 顕彰事業 ブループラネット賞受賞者講演録